アルベール・カミュ

カミュに関して、日本語でアクセス出来る主な文献表。

敬称略。及び訳者に関して一部省略する。

カミュ著書物

カミュ 1 新潮世界文学48

カミュ 2 新潮世界文学49

カミュ全集 全十巻 新潮社
私の知る限り、カミュの著作物をもっとも多く収録している。

カミュの手帳 1935-1959 [全] 大久保敏彦訳 新潮社
索引が充実している。彼の価値観に対する理解への手助けになる。

カミュ

サルトル 全集 改訂版 11 シチュアシオン1 評論集 人文書院 
『《異邦人》解説』 窪田啓作訳

アルベール・カミュ 思い出すままに ジャン・グルニエ 大久保敏彦訳 国文社
リセの哲学クラスで彼を指導し大学では指導教官を担当、彼の文学的才能を開花させた人物。
(孤島 グルニエ 井上究一郎訳 筑摩書房 序文をカミュが執筆。
これに薫陶を受け文学を志す。彼との書簡も、何で食べていくかなどの一人の父親のいない若者が、父性を見出した大人に対する相談や主張を知る上で良い資料である。)

異邦人論争

カミュの異邦人の訳が「新潮」に公開され勃発した、広津和郎中村光夫による論争。
カミュ解釈にとどまらず、小説の形態に対するそれぞれの時代の文学者としての見解を展開。

広津和郎 全集 第九巻 中央公論社
カミュの異邦人』、『再び《異邦人》について』、『まだ納得できない』(カミュ会見記に対する文)

中村光夫 全集 第十巻 筑摩書房
『異邦人論』
(これは「東京新聞」の『《広津和郎氏の異邦人論に》ついて』と同年12月の「群像」の『カミュの《異邦人》について―広津和郎氏に答ふ』を二部構成で一つにしたもの)、『《カミュ会見記》を読んで』、そして三篇のカミュ論 月報に『《異邦人》論争について』A・カミュ)


以下は原文を参照したい人向け。

広津和郎が昭和26年の6/11〜13の東京新聞にて『カミュの異邦人』を連載
中村光夫が同じく7/21〜23に前項の通りに東京新聞で反駁し。
広津和郎が同年十月「群像」に『再び《異邦人》について』を掲載。
中村光夫が前項の通りに「群像」にて反駁。

朝日新聞小島特派員による、この論争をカミュに紹介し意見を求めた
昭和27年の1/15の「朝日新聞」の『カミュ会見記』(カミュ本人へのインタビュー)

それに対する、同16日の朝日新聞紙上の「カミュ会見記を読んで」という見出しで
広津和郎の『まだ納得できない』と中村光夫の『立派なあいさつ』が並載されることで、終わりを見る。

カミュサルトル論争

革命か反抗か -カミュサルトル論争- カミュ/サルトル 佐藤朔訳 新潮文庫(新潮社)

これはカミュが「反抗的人間」を表わした後に起きた
フランシス・ジャンソンの「現代」に掲載された『A・カミュ あるいは反抗心』
という批評文を発端とするジャンソンサルトルカミュ三者の論争であり。
マルクス主義的な革命観や歴史観に対する考察が第一の議題であると思われる。
この両者の関係に関してはボーヴォワールの文もカミュの外見的特徴や
インテリ界での立ち位置を知る上で資料となる。




と言う訳で、しばらくカミュサルトルとかの勉強してた(主にカミュ)。
あんまり彼らの事は好きじゃないけど、ここまで一人の人物に対してみっちりと調べた事はなかったのでいい経験になった。

個人的な意見として断言するけど、カミュ実存主義的小説家として読むのは間違い。
もっともここで言う実存主義サルトルに限定した方がいい
というか上記を読めばわかるけど、自身が実存主義者でないと発言した時の彼はそう考えていたと思う。

02/04/2012追記

なんだかんだいって、まだ読んだり書いたりしている。
カミュをどう論じるか、あるいはサルトルの知識人としての立ち位置を論じるのか
自分の主張を体言する為にどのような主題に対して、言及していいのかわからない。
あと、出版年を書いてないの致命的だよね。この文献表。


言葉とエロス ジョルジュ・バタイユ 古屋健三訳 二見書房

カミュ論 モーリス・ブランショ 清水徹・栗津則訳 筑摩書房

決定版 三島由紀夫全集 27 新潮社